T-ALBUM別所哲也の写真や思いなど

Dialy2007/08/12

皆さんありがとう。

皆さん、レミゼラブル東京公演2007は終わりました。沢山の声援!拍手ありがとうございました。手紙でも励まされました。感謝です。楽屋口では混乱や怪我を心配してなかなか、ゆっくり対応できない状況でした。東宝やほかのキャストのファンの皆さんにも迷惑にならないようにしなければいけなかったので、ごめんなさい。しかし、本当にうれしい声援でした。千秋楽はかなり緊張しました。作品の大きさ、すばらしさに飲み込まれそうになったというより、本当に何か自分とは関係のない力に支配されて、バルジャンをいう人物像として突き動かされていたように感じます。その力は背中をグイグイと押しプロローグでは、オオケピを飛び越えて客席に自らの体がいってしまうようなそんな感じです。「緊張した」という言葉を選らんで終演後挨拶しましたが、それは、言い換えると「自分が自分でない、何かに動かされた」ということでしたが、そんなこと言ったら、、、変に思われるとおもったのです。ここだけの話、、、。ぼくは、無宗教だし、運命論者でもありません。家は、、浄土真宗ですが、、(笑)。こういう感覚で役を演じることは、滅多にありません。常にもう一人の自分が抑制をきかせながら演じることがプロの俳優の使命でもあります。しかし、、、。千秋楽は違いました。僕自身なにか、気負いがあったわけでもなく博多座のこともあり、まだまだこの先どんなバルジャンが自分の中に沸き起こるか無我の境地に近かったのに、、、。それが、、、、、、、、本当に不思議な体験ですね。劇空間は、、。だからやめられないか、、、(笑)。間違いないのは、お芝居の神様には守られているという確信があったということです。ちょっと時間をおいて、博多でバルジャンに再会したときいったいどんな化学反応が心のなかにおきるのか、、役者として楽しみです。演出、、という枠を超えた確かな感情がそこでおきたら、、ぼくはいったい、そのときその感覚に従うべきか?それとも与えられた演出の中にとどまるべきなのか、、、、。演技者としてこれが喜びとなりえるか、苦悩となってしまうのか?、、、とにかく今でも自分のなかで整理がつかない体験に心臓が高鳴ります。
これからお盆、、みなさんも大切な家族や、先祖に想いをはせてどうぞお過ごしください。

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